「性愛」格差論 を読んだ。

斎藤環信者なので、一応。
いえ、たまたま図書館であったからでございまして、環せんせいにお金が行くわけではないんですが。そもそも買う気なかったし。
でも、読んだら表紙というかタイトルよりは腑に落ちました。
最初は本の表題からして、性愛の世界にも格差が広がっている、というお話かと思うじゃないですか。思わない? まあとにかくぼくは思ったわけデス。しかし内容は、格差社会(のイメージ)を性愛の視点で崩していくような内容なわけデス。違うか。少なくとも性愛の世界でも格差が広がっていて――、という話ではない。
環センセの現在のオタク情報はかなり早く、正確でした。用語の間違いとかは特に感じられなかった。しかし、酒井順子にはついぞオタクは微妙に誤解されたまま、という気はしました。まあオタクを正確に把握するための方法は、ほとんどオタクになることでしかありえないから理解できないのを攻めるのも酷な話です。特にオタク遺伝子がない人間には。
また酒井順子は古い価値観の人でもあるなあとはちょっと思いました。よくよくプロフィールを読んでみれば、66年生まれだもんなあ、そりゃあぼくらとはギャップもあるなあ。ただ、負けなれてはやっぱりいますね。そこらへんは流石だと思います。
またヤンキー文化に触れたのも良かったとは思います。彼らは健康ですからね。女だとメンヘルに流れることはままあるけど、男のヤンキーはメンヘルにはほとんどならないだろうから。基本的にヤンキーは健康ですから彼らを参考にするのはある意味で大変正しい。彼らの持つ無根拠な自信を学ぶのは有益です。
あと斉藤、酒井両氏には「下流」や「負け組」などの格差社会的イメージがあんまりリアルに感じられてないところは、やっぱ収入がある人たちだなあ、とは思いました。いや、ワーキングプアは厳しいですよ? 勝ち組になりたいとは思わなくても、プアっていうのはやっぱ結構厳しいもんですからね。それこそヤンキー的メンタリティを持ってないと、結婚なんか出来ない。記述可能な根拠を持った自信なんて持てませんからね。
まあ個人的には、本田透的なメンタリティは分かるし、結婚して社会や家を存続させた方がいい的な考えも持ってないので、護身に走ることで自己像を安定させる本田的身振りは環せんせいよりは共感できますし、実際今は自分もそんなカンジです。
まあそんなカンジで、この本は買うよりは図書館で済ませてよかった気はします。