Mardock Scranble

マルドゥック・スクランブル圧縮を見た。
原作を読まずに行ったんですが、かえって良かったのかも、という気がした。
最近の僕は頭をつかうことができなくて、相方から借りた原作をほとんど読めずにいたのですが。先にビジュアルイメージをつかむことができて、原作を読むのに都合がいいと感じた。
映画の方は、相方がツイッターで書いているように出来のいいOVAといった感じでした。
トレーラーで見た映像はエロを期待させたものですが(だって思春期女子の全裸とか、フヒヒって観るでしょ?)さすがに文脈込みで見ると、あまりエロさは感じませんでしたね。
八嶋智人の演技も悪くなかったし、林原めぐみというキャスティングも、観る前は「今更林原さんに少女役かよ」と思っていたものの、さすがのものでした。
ただ、まだ原作をちゃんと読んでいない状態で言うのもなんなのですが、小説に宿る「深み」をアニメで表現できているかというと、そうではないんじゃないだろうかとも思いました。


まだ原作の方は三分の一程度しか読めてないのですが、久々に「小説」を読んでいるという感じがします。
マルドゥック・スクランブルを読む前に、脳を慣らすために
えむえむっ! (MF文庫J)

生徒会の一存―碧陽学園生徒会議事録〈1〉 (富士見ファンタジア文庫)
を読んだのですが、やはり文章が違う。
マルドゥック・スクランブルの文章はエンタメに徹したラノベに比べると「意味」に満ちている。意味に満ちている、ってどういう事だろう? と自分なりに考えた結果、浮かんできたのは「解釈に開かれた言葉たちの連なり」という言葉。
そもそも僕は小説を読むのが結構苦手だったりするのだが、それは「文章を解釈する」ということが僕にとっては高負荷な作業だからで、描かれている文章を解釈して真相を読み解くというのが疲れるからなのです。実に頭の悪い理由だ。別の見方をすれば、冲方丁の文章が解釈の向こう側をうまく提示して、読み飛ばせないような文章をしているから高負荷なのかもしれない。


原作小説の話になってしまった。
とりあえず映画のほうは作画も良く非常にストレスフリーな作りで、良かった。
逆に言えば、あまり「引っかかる」作りにはしていないというか、なっていなかった。目をみはるようなシーンはなかった。
そういう意味ではこの前見たREDLINEとは逆のアニメかもしれない。
制作がGoHandsという僕の知らない会社で、そのことが不安も誘ったのだけれど(まあググッたけど。そこでサテライトから独立した会社だといことを知った)クオリティは高くて杞憂だったと言える。
うーん、内容≒物語の話にはあまりならないなぁ。ひとつには三部作の一番最初だからでもあるし、他には原作小説を読んでいないということでもある(自分が読み違えている可能性を、わざわざブログで表明することへの怖れ)。またセリフやモノローグであまり表現していないことから、なかなか僕のようなボンクラは、間接的表現を解釈することができずにいる、ということもある。
まあここは自己弁護的だが、第一部だから、物語については先送りということにしておこう。


とりあえずは、圧縮を見て、排気(第二部)を見に行かないことにしよう、とはまるで思わなかった、ということを結論として記しておくことで締めます。


次作観る前には、原作小説を読み終えていよう、と思う。